床にゴロゴロ

何者にも成れていない人の雑記

文系と理系のくくりについて

前回の因果関係の思考法のなかで、思考法やデータ分析は文系理系問わず、今後は必要になってくる機会が増えるだろうと著者は紹介していました。

 

 

goronto222.hateblo.jp

 

では文系理系の進路を決定する高校では、どのように文系理系選択と行っているのでしょうか。

高校生の文系理系選択

自分が高校生の時には、高校数学に苦手意識を持った人が1年生終了時点で理系への道に興味を失っていたように感じました。

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周りで見てきた理系への道のハードル(私見

ここで言いたいのは、理系を選ばないやつは・・・という事ではありません。
少なくとも自分の周りでは高校生活の中で理数科目がネックとなり、文系を目指す人が一定数いたという事です。なかでも、進級するごとに数学アレルギーが強くなることが文系の道への決意に繋がることが多かったように感じます。

 

当時、進路指導の先生が言っていた言葉。大学学部のざっくりした文理分けの説明会時

「心理学部は文系だけど、数学を使うから注意な」

今となっては、心理系は統計を使う事は何となく理解できる。しかし、大人である教員がそのような言い方でいいのだろうか…いや、文理分けをしっかりと行う高校だと、この世な説明をしないと避けて通れない道なのだろうか。

 

いわゆる理系へと進路を選択した自分から見たら、かっちりとした文理分けについて疑問に思うことが多い。文系的な響きの歴史の研究では文献から思考や政治状況を考察するだけではなく、当時の気候状況や人口構成から考察を行うこともあると聞く。思考的にも、手法的にも文系理系の境界線はあいまいになっていくのではないか。

経済学でも数式を使うらしいと聞いたことがある。

教育学でもデータ分析が必要になっている。妄想の域を出ないが、法律を専門としていても過去の判例の数から分析できることがあるかもしれない。

よって高校の時に文系理系を分けることで、文系選択者は数学的な思考(仮説を立てて分析する道筋を考える力)や、理系選択者は何か(なにが足りていないのか私にはわからないが、おそらく何かあるだろう)を速攻放棄することは非常にもったいないなと感じます。

しかし、大学に行くことが当たり前という風潮があるいま、大学にどんな手段をとっても行きたい高校生、良い大学に進学させないと大変になる高校教員の相乗効果によって、短期的で合理的な選択がとり続けられているのではないか。

 

これを解決するためにはどうすれば伊予いのだろうか。

一つに大学の受け入れ態勢や基準を変化させる方法。

二つ目に高校が文理関係なくある程度の理系的思考・文系的思考を広めて行く方法。

他に何かあるのか気になる。

 

大学受験の為には学習する科目を絞ることで合格率が上がる。

それを受け入れた大学は基礎教養という名の、高校の授業をせざるを得なくなる。

うーんどうしたら良いのでしょう