会議はあまり好きくない
未だに社会に出ていない、研究室に引きこもり状態である自分ではあるのだけれども、周りの働く大人たちから共通して、あることについての不満を聞くことが多い
会議
時間の無駄であったとか、あまり進まなかったとか、準備が大変であった…などなど。
さて、社会に出ていなくても会議なんてものは形的には存在するわけでして。 高校時代は各クラスの代表と委員会委員長、生徒会から成る連絡会議的なものがありました。何をするか?各委員会の決定事項(ゴミ拾いイベント、持ち物検査の実施etc)をクラスに伝達したりする。この会議はすべてシンプルだったと思う。
予定調和
なぜなら事前に(委員会担当の先生がせっつき)委員長が作成した連絡事項を生徒会がまとめ上げ、原稿と議事録(⁉)を作成し、司会進行役に渡して流れを確認する。そして当日は司会進行役が事前の打ち合わせ通りに疑似を進行して終了となる。名前ばかりの会議であったが、これはこれで機能していた。そう実感している。なぜなら自分がその司会進行役になっていたからだ。
予定調和の副産物
そんな予定調和の会議で目標を持っていた。部活にも参加しているクラス代表・委員長を連絡会議に長く拘束させないことだった。背景が何であれ、会議にかかわる多くの人を特定の時間拘束し、全員揃わないと始められないルールであったので時間の使い方には気を付けていた。ようは、内容伝達だけのレベルなら最速で伝達して終わらせて部活に行きたかった。 この取り組みはよかったのだと思う。その結果、年に1度の生徒総会(午後いっぱいの時間枠)では歴代最速で終わらせた。予定調和的でもあったことが要因の1つ。(申し訳ないことに、この状況知った先生方は翌年度以降、生徒総会後に授業日程を組み込んだ。すまん、後輩たちよ。)
予定調和ではない会議
部活動編
さて、大学へ進学し部活動や研究にいそしんだ。やはり自由度は高かった。そして落胆したこともあった。部活動では、トレーニングやバイトで体力や時間が切羽詰まっている中、部活の運営方針などのミーティングが行われていた。何とか進行していたのですごい事だったと感じている。議題は毎回異なり自由度が高い分難しい進行であったのではないかと考えている。先輩たちはずごかったなぁ。
研究室偏
研究室では週に1回の定例会ミーティングなるものがあった。気になる論文紹介を持ち回りで取り組んだり、わからない事に対して意見を求めたりと様々だった。しかし研究生活の後半、無言欠席、資料は前日までに配布しないなどなどの問題が発生してきた。確かに、全員がある程度知識のあるテーマならよいだろう。例え以下のような状況であってもだ。
- 過度にへりくだることではじまる防衛反応(枕詞)
- 事前連絡がなかったため初めて見る実験データの紹介
- 秒速で流れていく実験結果figを載せたスライド達
- 実験者の考察紹介もなく、唐突に始まる別の研究紹介
- 実験者の考察の紹介を求めるも、「論文、全部読めてないです」のマジックワード
そして、このミーティングのために削った自分の時間は虚無へと旅立っていった。