床にゴロゴロ

何者にも成れていない人の雑記

働き方には理性が大事だよねっていう話

注意:長文です。校正していないのでご了承ください。

背景

ここ数日、頭が痛い。振り返ってみるとその原因は多々ある。
先日、高校時代の同級生と飲んだ。盛り上がった。飲み過ぎた。結果、翌日は若干の二日酔いで普段の半分しかタスクをこなせなかった。その日、猛烈に反省して水分を摂取し早めに寝た。翌日、最近で一番の睡眠時間を記録した。頭が痛かった。どうやら寝すぎて頭が痛くなったようだ。その日は普段の2/3しか処理能力が戻らなかった。このように外的な要因で二日連続でパフォーマンスが悪い場合、卑屈な自分は自己に失望しモチベーションが下がってしまう。めんどくさいやつだ。
外的要因で作業効率が下がることはもちろん、内的要因(心の動き)でもパフォーマンスは左右されてしまう。これはよろしくない。そして、そもそも効率的な動き方を会得しないと何も生まれない。

 

働き方のほんをいくつか読んでみた

今は働き方改革のつながりや、新年度が近い理由で書店には多くの効率の良い時間の使い方や働き方に関係する本が平積みにされている。いわゆるハウトゥー本ってやつ。
これまでは研究室に引きこもり、頭が悪い分時間を使って研究すればいいんやで!っというスタンスで実験や論文読みなどに取り組んできた。なぜこれが可能か。それは自己肯定感の低さと賃金が発生しない(むしろ学費払っている)という状況が背景にあったからだと考える。しかし、これがはたして正しい方法なのだろうか。また、社会にでは場合は何かしら価値のある成果を生みだし、お金をもらって生活をする。このままではいけないと思い立ち、ハウトゥー本を数冊読み比べてみた。

いろいろ読んだ感想

一冊一冊の主張は素晴らしい。自分が手に取った本の多くで、シングルタスクの重要性を説いていた。事実、頭の中に様々な考えがある状態で一つ一つの作業に取り組むいわゆるマルチタスク状態は疲弊してしまう。納得だ。しかし、本に書いてあるように一つの事に集中した状態にいつでも自分を持っていけるのだろうか。ソースはどこか忘れたが、マルチタスク状態だと思わせることによって、一つの課題に対する記憶力が向上したという研究報告を聞いたことがある。うーん、人の脳って意外といい加減というか、なんというか…
また、読んだ本のいくつかはは予定をあらかじめ決めておくことで集中状態に持っていき、それらをルーチン化することで脳への過剰な負担が軽減されるようなことが記述されている。うん、ルーチン化できたらいいですね、初めての事ばかりでも共通の段取りを見つけてルーチン化してサクサク進められるならいいですねっというのが自分の感想。どうやら、自分の現在置かれている環境を一度すべて破壊して、0から構築した方がよさそうだと感じてきたぞ。

モチベーションが下がっちゃう

先ほどのビジネス書を執筆した偉人達に感銘を受け、その通りにいろいろと取り組んだこともある。その結果何が生じたか。燃え尽きた(笑)。ある日1つだけ達成できなかったことで、あらかじめ設定してあったバッファータイムもすべて使い果たしてしまい、残るはガラガラと計画というドミノが崩れ落ちていく音だけ。その行きつく先はモチベーションの残りカスである自堕落とのんびりタイム。それはバーベキューで使った備長炭の残りカス以上に火が付きにくく、全く発火しない不燃物質みたいなものだ。

モチベーションを上げたい

ここからの復活を願いながら、スマホで自分になじみのあるキャンディークラッシュやDots(スマホゲーム)をポチポチやること数日。ふと思った。なぜ自分のモチベーションがタールのごとく、真っ黒でドロドロなのに、毎日少しでもこれらのスマホゲームをやっているのか。考えた。その結果、ステージをクリアするごとに、そのスコアが星の数で評価される。さらにステージの数がひとつづつ進む。ある程度進むとボーナスタイムという事で、ゲームアイテムのプレゼントや、数時間ゲームをプレイするためのスタミナが無限になる特典があるからではないかと考えた。これを普段の生活に転用するためにはどうすればいいのだろうか。

定量評価しちゃう?

スマホゲームから見つけたポイントは2つ。1つめに、ゲームをクリアした時にそのスコアが3段階評価・そしてステージの数が1つ進むが如く、自分のタスクにもステージ設定をすることがいいのではないか。数値化しにくい物事に対しても、難しさに応じた進み具合を数値化することできっとゲームのクリアした感覚に近いものが得られるのではないか。さらに所要時間を記録しておくことによって、クリアタイムアタックのように自分自身と競い合うことができるのではないか。2つめにボーナスタイムが如く、自分にご褒美設定を作ることがいいのではないか。裏を返すと、達成まで自分の好きなご褒美のお預けという、ゴロゴロ主義の自分にとって苦痛以外の何物でもないのだけれども(笑)

結局大事なのは理性、でもしんどい

ここまで書いて思ったけど、この文章もハウトゥー本で言っていることと大して差はないのだという事。そしてそのことにガックリきた。ハウトゥー本を読む人が皆、その本に書いてある通りに実行できるならハウトゥー本は世の中に数冊あるだけで必要十分になる。数年ごとに改訂版を出すだけで事足りてしまう。でも、なぜいろいろなハウトゥー効率の良い働き方、効率の良い時間の使い方などなど類似の本が多くあるのだろうか。それは、多くの人がそれらの本を読み、実行し、そして自分の目指した理想に打ち破れるからなのだろう。ハウトゥー本を執筆した偉人たちはひとえに理性が素晴らしく強く、自分の目指す目標がはっきりしている。自分の作ったルールにほとんどの状況でも理性的に従って実行する。この理性の強さが大事なのではないかと考える。自分の仕事に対して最終的な目標や、常に目指すべき姿、イメージを明確に持っているとさらに理性が強くなる。でも、ハウトゥー本を何冊も読み実行し、打ち破れた多くの人はそのように理性が強く、そして明確な目指す姿やイメージを持っているのだろうか。自分の場合はまだ見つからないので保留ってことにしておく。

しんどくない方法考えてみた

夢を持たず、今直面していることに精いっぱいであり、何者にもなれなかった自分はこれからどのように生きていけばいいのだろうか。自分で自分を褒めるという、宗教的な、ちょっと体育会的な方法が楽で実行しやすのではないか。赤ちゃんってハイハイからつかまり立ちしたら、ノーベル賞受賞者如く褒められる。それと同じで自分を自分で褒めて今を生きる活力にしたらいいのではないか。

ここまで書いても、ハウトゥー本の呪縛みたいなものからは逃れられなかった。ここまで書きなぐって得たものは肩こり。
最後に自分を褒めたい。
自分、呼吸しててエライ。